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一つ多い、一人ぼっち。一つ少ない、一人ぼっち。どちらにも意味があるように。
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意味の分からないものは こわい
知らないものは こわい

その不安を嫌悪と呼ぶのでしょうか
その恐怖を軽蔑と見なすのでしょうか


心の何処かで
誰かや何かを
憎んだり見下したりしなければ
人は生きていけないのでしょうか

そういうものなのでしょうか?
そういうものが私たちを生かしているのでしょうか?


人は生き
呼吸をして
食べ物を食べて栄養をとり
睡眠をとって休息を得て
それだけでは ままなりませんよね

どうしようもない差異を埋めるのは 排除し合うことだけなんでしょうか
気に食わない相手を駆逐して 強者として振る舞うことしか
私たちには残されてないんでしょうか そういう選択しか


だって僕ら人間は もっともっとすごいのです
諦めない力は もっともっとすごいのです


幸せを奪われるのは こわいです
だけどその幸せが どういうものの上に成り立っているのか 知ろうとしなかった僕らにもきっと責任があるのでしょう
気にしたことはあっても 声をあげずにいたからでしょうか
自分に厳しくするのは 他人に優しくなるのは 
もしかしてそんなに難しいことだったのでしょうか


頭が追いつきません
ただ誰も 本当には言葉を交わし切れていないと思ったのです
誰も  誰が何を言い 誰が何を想い 相手のそれを受け止め 自分のそれを託す
必要なのはそれだけのことなのに できてないんじゃないかって思うんです 
今はただ殴り合う喧嘩のようで
だからこんなに後味が悪いのではないかと……
ふつふつする想いを文章に起こそうと必死になってみました

平和主義者ですか?お気楽思考ですか?
だってみんなの住む世界を、みんなの住む世界だと受け止めて、
そのみんながどうしたいかという声を、叶えなくともせめて聴くために、
僕らは民主主義なのでしょう?
答えが否であったって、そういう未来を目指したいですよ。
そこからスタートしなきゃ、悲しいじゃない。


そんな、東京都の某条例可決の翌日の私の頭の中でした。
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空中迷子


こんにちは。細かい分類はさておいて、イラスト公開場にしてみました。
ブログでだいたいの生存確認はできます。こちら

ではでは。
此処は、ある時浮かんだ叫び声から生まれた場所でした。

ある美大の方の学校説明を聞きいたときのことです。
絵で食べて行くことの難しさが語られることの多い中、前向きに「絵で食べて行くこと」を目指した内容の説明に、とても衝撃を受けました。

その時、心の底から、何かが疼く感じがしました。
ふつふつと浮かんで来たそれは、どうやら叫び声のようなのです。
その叫びは、泡沫のように憫れで儚く、「助けて助けて、応えて応えて」と繰り返していました。
その悲痛さは、もう今、今すぐ、手を差し伸べないと死んでしまうのだろうという気にさせました。

ネット上で声の活動を始めて、「声を公開する人」として少しずつ認知度があがっていました。
その一方で、「絵を公開する人」としての自分は陰って行くように思えて、絵描きとしての自尊心みたいなものも、すり減っていきました。
ついには公開する場さえ「どうせ見てもらえてないし、要らないや」とぽいっと捨ててしまった自分への、しっぺ返しが高2の冬、やってきたのでしょう。

自分と描くこと、創ることを切り離したことの、小さな傷が結びつき合って、私に最後のSOSを発信してきたのです。
すごく無理矢理に、それを拾ったから、「最後」だったかどうかは分からないけれど、かなり瀕死の状態だったと思います。
今にも千切れそうな繋がりを、私はどうにか「はしっ」と掴みました。

「私は、描く人なんだ!創る人なんだ…!」

とにかくそれを主張したくて、手段はなんでもいいから、自分と絵との結びつきを取り戻したい一心で、
高校2年の終わり、急に「美大に行く」と言い出したのです。
それが、このブログの始まりと重なります。
サイトはすぐには作れないけれど、何かしら絵を公開する場をつくろうと思ったのです。
「つくり続けること、公開し続けること」の大切さは、その頃たまたま書店で買ってみた新書「絵を描く悦び」から教わりました。


それからしばらく経って、いろんな捻じ曲がったものを、無理矢理に反対に曲げたりしながら、たどたどしくも元あった形に戻そうとしていました。
やっぱりうまく行かなくて、しょげる日もあれば、馬鹿なくらい簡単なことを難しく考えて立ち往生していた日もありました。




いろんな人に会い、いろんな言葉に会い、今に至ります。
ここにきてようやく、ひとつ拓けた気がします。
少なくとも、あの「叫び声」は鎮まり、たまに嬉しげに笑いかけてくるようになりました。
こんな書き方、変かもしれませんが、「ああ、ずっと其処に居たんだ」と思いました。
私が寂しがってる時も、ふてくされてる時も、「それ」はずっと其処に居たんだろうと。
意地を張ってる時は「それでいいの?それがいいの??」とか、迷ってる時には「がんばれ、まけるなっ」とか、いつも小さく囁くように、傍で見ていてくれたのでしょう。

そう、今になって、やっと。「そいつ」とちゃんと、歩いていけるようになったと思えます。
いろんな人に、助けてもらいながら、一番大事な軸は、いっしょに大事にしながら、歩いて行く。
そのなかで、まだ解決できていない、家族とのこととか、自分自身のこととか、
これから出会ういろんなことと、向き合って行く。

それに向かって行けるなら、私は幸せなのだろうと、今、そう思います。

今日をこの場所のひとつの区切りとしたいと思います。

プラスマイナス1。
拙くって変な歩き方ばっかりしてた。
付き合ってくれてどうもありがとう。
みづきさんはまだまだがんばれます!
大切なものぎゅって抱き締めた

勿体無いくらい
綺麗な心を
人から貰った

落としそうでこわくて
真っ直ぐでいとしくて
壊さないように、そっと
込めすぎそうになる腕を抑え、そっと

ぎゅって抱き締めた


大切な人たち
大切な言葉たち
大切な気持ち


大切なもの、いっぱい

あるのに時々忘れてしまう
だから感じられる今は、めいいっぱい。

抱きしめるよ、ぎゅって。
漫画

漫画が好きだ。


唯一無二のたった一人の人を絵で語れる。
その声、その人となり、空気、大事にしてるもの、えとせとらえとせとら。
外見で外見以上のことを語れる絵にしたい。

コマ割りはすごい。紙の上に時間が生まれるんだもの。
存在しないはずの時間を創れるんだもの。


飾ることに気を取られ過ぎなんだ。
楽しめなくなったら、そんなのは違うんだ。
気負うために一緒に居るんじゃないんだ。
好きで好きで、好きなんだ。
それを見失ってばかりで、ときどきツラい。
自分で大事に出来てないからなんだ。きっと。



手を伸ばすよ。今度はちゃんと。
もう離さないからどうか、受け入れて欲しい。
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できるだけ、かるーく。
ふよふよしながら生きていたいなあ。
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