一つ多い、一人ぼっち。一つ少ない、一人ぼっち。どちらにも意味があるように。
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今では高校3年生のゆのにも、
小学3年生だった頃がありました。
小学3年生だった頃がありました。
ゆのは、昔、自分の絵を友達に売っていたことがあります。
「どうしても欲しいから、売って欲しい」といって貰えるのが嬉しくて、
お金になるのが嬉しくて、売っていました。
仲が良かった子だし、なんかそのことの間だけのことで、
「まぁいいか」なんて思ってたのです。
でもある日、オマケとかカードとかを売っているお店で、
好きなキャラの小さな丸いステッカーみたいなものがありました。
「これが欲しい」とお店の人に言ったら、
「あげるよ」とタダでくれたのです。
衝撃が走りました。
たとえそれが、何かのオマケだったとしても。
それはどこかの会社が作ったものであるはずでした。
アニメのキャラクターだったので、その向こうにはたくさんの人が存在しているはずでした。
キャラクターを作った人は勿論、セル画を描いた人、色を塗った人、商品にしたひと、商品を作った人…
小学生の私がどれくらいを予想したのかはわかりません。
けれど、たしかにそれは、私が鉛筆や色鉛筆で仕上げるよりも多くの人と、手間がかかっていることは確かでした。
静かにそれを受け取りました。
「これは間違ってるや」という答えと一緒に。
後日、私の絵を売ってくれという友人に
「もう絵を売らない」という話をしました。
10円や20円、100円や200円という話。
当時からすれば、100円玉なんてとっても高価なものだったので、
(チロルチョコが10個買える!)
値段は、私がどれくらい手放したくないか、を基準に設けていたように思います。
もともと自分が気に入ったものはなかなか人にあげない性格だったせいで、こんなことを引き起こしたのだと思いました。
売らないというと悲しい顔をされたので、「欲しかったらあげるから」と説得しました。
それから、欲しいと言ってもらえたらあげる癖がつきました。
償いのつもりでした。
自分の絵にも、「そのこ」にも、本当にすまないと思いました。
道を間違えてすまなかった、外れた道を行かせてすまなかった、と。
そのこと私の問題で、私の心の問題で、これで解決したものと思っていました。
反省したし、わるいと思ったところはきちんと直したし、これで良かったんだとココロから思いました。
また、もしも私が本当に何かを犯してしまったのなら、これで十分じゃないか、とも思っていました。
しかし、事はそれだけで終わってくれませんでした。
「そのこ」と「わたし」の舞台に、「いじめっこたち」があがりこんできたのでした。
「そのこ」と「わたし」はどちかと言わずとも、いじめられやすい子でした。
いじめられることも、いじめられないことも、自然な子達でした。
言ってみれば、人付き合いの上手くない子どもでした。
今推測する限りでは、「わたし」をいじめる材料を、「そのこ」から探していて、もしくは見つけちゃって、こうなったのかな…と思います。
「いじめっこたち」が私たちにしたことは正義や、同情や、思いやりなのだと思っていました。
そう信じていたかったのです。非があったのは私一人だと。
けれど今になって私は、あれは「いじめ心」からの行動だと、断言するのです。
やはり私が確信したように、事は売らないと告げたあの日に終結していたのです。
関連しているようで、後に起こった事件は全くもって別のことだったのです。
事件は学校の一角で起こりました。
「いじめっこたち」がいて、申し訳無さそうに「そのこ」がいて、私が呼び出されたのだと…思います。
「そのこ」に自分の絵を売りつけていたのだろうと「いじめっこたち」は私を責めました。
「そのこ」は俯いて、「いじめっこたち」用に改変された私への言葉に「ちがう」と言っていたように思います。
”売りつけて”、”可哀想に”。
言葉が頭の中でぐるぐるとしました。
自分が決心したあの日に感じた言葉が、いじめっこたちの言葉の影から私を襲ってきました。
”下手なくせに””そんなレベルでもないくせに””そんな絵、私はお金を出してまで欲しくない””ふざけるな”
自分で自分にかけた言葉が、また土砂降りになって私を責めていました。
私が心の内で、そんな風に自分を責めていたことを、彼女らは知らないでしょう。
その出来事が、いったいどうやって終わりを迎えたのか覚えていません。
ただ、「自分が描いた絵を友達に売るなんて最低」だと、
自分で気づき、改善した後だと言うのに、人から言われた、非難された。
そのことが私にとって事件でした。
「そのこ」とは次第に離れていく中で、たくさん迷惑をかけたり、
心の内で”すまない”ということもしました。
それでも、わだかまりのない相手なのが、救いだなと思います。
私が勝手に、思っているだけかもしれませんが…。
そんなことや、やっぱり今の画力も含めて、
自分の絵に人にお金を出してもらうのは、抵抗があることです。
でも、このままでは私の望む方向に事が進まないという心地がします。
だから、わたしは、この思い出を文字にするし、しかと飲み込むのです。
苦い薬を飲むように。
飲み込むのです。
しっかりと、ごくりと、音を立てて。
前を向かなければなりません。
こんな幼い思い出に負けているわけにはいきません。
事は終わったのです。
解決したのです。
もうそれで自分を縛ることはしなくていいのです。
多少強引でも、私は私にそれを許します。
「どうしても欲しいから、売って欲しい」といって貰えるのが嬉しくて、
お金になるのが嬉しくて、売っていました。
仲が良かった子だし、なんかそのことの間だけのことで、
「まぁいいか」なんて思ってたのです。
でもある日、オマケとかカードとかを売っているお店で、
好きなキャラの小さな丸いステッカーみたいなものがありました。
「これが欲しい」とお店の人に言ったら、
「あげるよ」とタダでくれたのです。
衝撃が走りました。
たとえそれが、何かのオマケだったとしても。
それはどこかの会社が作ったものであるはずでした。
アニメのキャラクターだったので、その向こうにはたくさんの人が存在しているはずでした。
キャラクターを作った人は勿論、セル画を描いた人、色を塗った人、商品にしたひと、商品を作った人…
小学生の私がどれくらいを予想したのかはわかりません。
けれど、たしかにそれは、私が鉛筆や色鉛筆で仕上げるよりも多くの人と、手間がかかっていることは確かでした。
静かにそれを受け取りました。
「これは間違ってるや」という答えと一緒に。
後日、私の絵を売ってくれという友人に
「もう絵を売らない」という話をしました。
10円や20円、100円や200円という話。
当時からすれば、100円玉なんてとっても高価なものだったので、
(チロルチョコが10個買える!)
値段は、私がどれくらい手放したくないか、を基準に設けていたように思います。
もともと自分が気に入ったものはなかなか人にあげない性格だったせいで、こんなことを引き起こしたのだと思いました。
売らないというと悲しい顔をされたので、「欲しかったらあげるから」と説得しました。
それから、欲しいと言ってもらえたらあげる癖がつきました。
償いのつもりでした。
自分の絵にも、「そのこ」にも、本当にすまないと思いました。
道を間違えてすまなかった、外れた道を行かせてすまなかった、と。
そのこと私の問題で、私の心の問題で、これで解決したものと思っていました。
反省したし、わるいと思ったところはきちんと直したし、これで良かったんだとココロから思いました。
また、もしも私が本当に何かを犯してしまったのなら、これで十分じゃないか、とも思っていました。
しかし、事はそれだけで終わってくれませんでした。
「そのこ」と「わたし」の舞台に、「いじめっこたち」があがりこんできたのでした。
「そのこ」と「わたし」はどちかと言わずとも、いじめられやすい子でした。
いじめられることも、いじめられないことも、自然な子達でした。
言ってみれば、人付き合いの上手くない子どもでした。
今推測する限りでは、「わたし」をいじめる材料を、「そのこ」から探していて、もしくは見つけちゃって、こうなったのかな…と思います。
「いじめっこたち」が私たちにしたことは正義や、同情や、思いやりなのだと思っていました。
そう信じていたかったのです。非があったのは私一人だと。
けれど今になって私は、あれは「いじめ心」からの行動だと、断言するのです。
やはり私が確信したように、事は売らないと告げたあの日に終結していたのです。
関連しているようで、後に起こった事件は全くもって別のことだったのです。
事件は学校の一角で起こりました。
「いじめっこたち」がいて、申し訳無さそうに「そのこ」がいて、私が呼び出されたのだと…思います。
「そのこ」に自分の絵を売りつけていたのだろうと「いじめっこたち」は私を責めました。
「そのこ」は俯いて、「いじめっこたち」用に改変された私への言葉に「ちがう」と言っていたように思います。
”売りつけて”、”可哀想に”。
言葉が頭の中でぐるぐるとしました。
自分が決心したあの日に感じた言葉が、いじめっこたちの言葉の影から私を襲ってきました。
”下手なくせに””そんなレベルでもないくせに””そんな絵、私はお金を出してまで欲しくない””ふざけるな”
自分で自分にかけた言葉が、また土砂降りになって私を責めていました。
私が心の内で、そんな風に自分を責めていたことを、彼女らは知らないでしょう。
その出来事が、いったいどうやって終わりを迎えたのか覚えていません。
ただ、「自分が描いた絵を友達に売るなんて最低」だと、
自分で気づき、改善した後だと言うのに、人から言われた、非難された。
そのことが私にとって事件でした。
「そのこ」とは次第に離れていく中で、たくさん迷惑をかけたり、
心の内で”すまない”ということもしました。
それでも、わだかまりのない相手なのが、救いだなと思います。
私が勝手に、思っているだけかもしれませんが…。
そんなことや、やっぱり今の画力も含めて、
自分の絵に人にお金を出してもらうのは、抵抗があることです。
でも、このままでは私の望む方向に事が進まないという心地がします。
だから、わたしは、この思い出を文字にするし、しかと飲み込むのです。
苦い薬を飲むように。
飲み込むのです。
しっかりと、ごくりと、音を立てて。
前を向かなければなりません。
こんな幼い思い出に負けているわけにはいきません。
事は終わったのです。
解決したのです。
もうそれで自分を縛ることはしなくていいのです。
多少強引でも、私は私にそれを許します。
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