一つ多い、一人ぼっち。一つ少ない、一人ぼっち。どちらにも意味があるように。
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変だな
たくさん転んで
いっぱい泣いて
それで「ああ、そうだ、そういうことだ」って
掴んだはずのものなのに
人に言ったり
それを自分の主張にしたり
誰かに伝えようとすると
途端に顔に血が上って
「恥ずかしく」なって
あろうことか、嘘ごとにすり替えたりするの
こうやって、文字でなら、ブログでこそこそっとなら、呟ける。
でも「私はこうなの」「こういうことがしたいの」「こういう風に生きたいの」って
直接に伝えようとすると、途端に涙が出そうな位「恥ずかしく」なる。
喉が詰まって
言葉がつっかえて
言うくらいなら
言わない方がいいのでは?って
何度もそれで失敗してきた方に歩いていっちゃうの
・・・こんなくだらないことを、文字でなら吐き出せる。
でも実際の言葉には表現できない。
思ってる事は、嘘じゃない。
荒い風に晒されても、大事にしてゆきたいもの。
でも現実の「私」が「それ」を持ってくれないから、
私はこうして吐き出す「言葉」には信用がおけないの。
私の言葉には思いを託しきれないの。
***
「〜なの」口調になるのは、どういう時?
たくさん転んで
いっぱい泣いて
それで「ああ、そうだ、そういうことだ」って
掴んだはずのものなのに
人に言ったり
それを自分の主張にしたり
誰かに伝えようとすると
途端に顔に血が上って
「恥ずかしく」なって
あろうことか、嘘ごとにすり替えたりするの
こうやって、文字でなら、ブログでこそこそっとなら、呟ける。
でも「私はこうなの」「こういうことがしたいの」「こういう風に生きたいの」って
直接に伝えようとすると、途端に涙が出そうな位「恥ずかしく」なる。
喉が詰まって
言葉がつっかえて
言うくらいなら
言わない方がいいのでは?って
何度もそれで失敗してきた方に歩いていっちゃうの
・・・こんなくだらないことを、文字でなら吐き出せる。
でも実際の言葉には表現できない。
思ってる事は、嘘じゃない。
荒い風に晒されても、大事にしてゆきたいもの。
でも現実の「私」が「それ」を持ってくれないから、
私はこうして吐き出す「言葉」には信用がおけないの。
私の言葉には思いを託しきれないの。
***
「〜なの」口調になるのは、どういう時?
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なんでも、程よい距離が大事。
遠すぎると、つまらない。
近すぎると、暑苦しい。
程よい距離。
突き放すんでなく、執着するんでなく。
ちょうどいい視線から、「どうしたの?」「どうしたいの?」って問いかける。
描くのも書くのも人付き合いも。
そういうこと欠いてはグダグダになってしまう。
程よい距離から。見る。描く。書く。
遠すぎると、つまらない。
近すぎると、暑苦しい。
程よい距離。
突き放すんでなく、執着するんでなく。
ちょうどいい視線から、「どうしたの?」「どうしたいの?」って問いかける。
描くのも書くのも人付き合いも。
そういうこと欠いてはグダグダになってしまう。
程よい距離から。見る。描く。書く。
自分分析。
まとめて、「自分析」
読みは「じぶんぶんせき」
***
私の自分に対する「冷たい」が、人に対する「冷たい」になる。
自分に冷たくしている所は、無意識に人にも冷たくする。
昔に人からもらった「冷たい」を当然のことと思ってて
「ああ自分はこれぐらいの扱いをうけるものなのか」と思ってて
それが定着してて
人に対して「あたたかく」できなくなったところがある
冷たい温度のまま「当たり前」になってしまって
だから
自分に優しくしようと思った
自分を好きになりたいと思った
自分に優しい人は、自分を好きな人は、
きっと人にもそう接することができる。
もっと甘えられる所は、気を抜くべきところは、気遣ってやれるようになろうよという。
まとめて、「自分析」
読みは「じぶんぶんせき」
***
私の自分に対する「冷たい」が、人に対する「冷たい」になる。
自分に冷たくしている所は、無意識に人にも冷たくする。
昔に人からもらった「冷たい」を当然のことと思ってて
「ああ自分はこれぐらいの扱いをうけるものなのか」と思ってて
それが定着してて
人に対して「あたたかく」できなくなったところがある
冷たい温度のまま「当たり前」になってしまって
だから
自分に優しくしようと思った
自分を好きになりたいと思った
自分に優しい人は、自分を好きな人は、
きっと人にもそう接することができる。
もっと甘えられる所は、気を抜くべきところは、気遣ってやれるようになろうよという。